普通に好きって一体どんな好きであるのか

つい先日の事であるが、韓国出身の友人を交えて、お茶をしていた時の話である。あまりにも重たすぎる鞄をそっと持ってくれた友人に「ありがとう!めっちゃ好きー。」と感謝の意をこめた所。私のその言葉に大きく反応を示し「どうしていいのか自分には、皆目見当が付きません。」といわんばかりの顔をしながら、私に対して、どのように、何を言っていいのかわからないといった様子で、挙動不審である友人を見て何をしているのかと、不思議にかんじていたのである。ところが、話を聞いていると、どうやら「好き」という言葉に反応していたようであった。

韓国語で好きという言葉を「チュアヘヨ」という。また、愛しているは「サランヘヨ」である。しかし、「チュアヘヨ」も「サランヘヨ」言葉の重さは同じである。日本からすれば「好き」の上級言葉が「愛している」である。何を言わんとしているのかというと、それほどまでに「好き」という言葉に重みがあるのであれば、日本のように「やっぱり好きではなかったから別れよう」といった別れ方は、よっぽどの事がない限りないように思われる。

そうなれば、「彼氏の事は好きですか?」という問いに対しても、「普通に好き」という言葉は、日本人以外の口からは、一切出ないそうである。「そこまで、ものの見事に切り捨ててしまってもいいものであるのであろうか?」そう考えながら話を聞いていた。

しかし、ドラマでは、好きな人に振り向いてもらうために違う人と付き合うことにしたという設定がある。このような酷い話はないように思われる。日本でも似たようなことをしているが。他国の恋愛に対して、蔑む姿勢は持ち合わせていない。日本の「普通に好き」という言葉を馬鹿に出来ないのではないかと思っていた。

どうやら日本人の「好き」何に対してでも使うことが可能であるがゆえに、物に対する「好き」と人に対する「好き」が混合しているように思われてならないというのである。どうも、「愛している」という言葉は、重みがありすぎて、照れくさかったりするものの、「好き」という言葉は、あまりにもチープすぎるようである。今日本には、その間に、存在させる言葉が必要なのかもしれない。

MENU